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醤油 地溜まり

郡上の醤油「地溜まり」は、醤油業界では珍しいことに、造り方も材料も、完成後の香りも味も、地域色が強い郡上独自の醤油です。

実は、「醤油」にはJAS法による規定があることもあり、全国各地の醤油の色・香り・味には一定の傾向があります。ピンポイントの地域が独自の醤油を作っているということは滅多にありません。

しかし、醤油の味が地域独自であれば、その地域オリジナルの家庭の味がある。

そのような地域があってもいいのにと思っていたので、「地溜まり」の話を聞くとじっとしていられなくなり、地元の人からお勧めいただいた郡上八幡の蔵元「大黒屋」を訪ねました。

郡上独自のこだわりにあふれた、
興味深々の製造現場

郡上独自のこだわりにあふれた、興味深々の製造現場

地溜まり01

郡上八幡の風情ある街並みに心惹かれ、街中に流れる水のせせらぎに癒されながら歩いていると、深い醤油や味噌の香りがほんのりと香る「大黒屋」が現れました。

地溜まり02

中を覗くと味噌や味噌を使ったお菓子などがずらりと並んでおり、その奥から4代目の和田祐幸さんが爽やかに出てきて迎えてくれました。若くて物腰柔らかそうな人柄に親しみが湧きます。

地溜まり03
地溜まり04

軽くお話しをし、いよいよ気になっていた郡上の醤油「地溜まり」の製造現場を案内してもらいました。
奥に入るにつれ、醤油や味噌の香りが濃くなり、13本の木桶が現れました。
「9割の大豆と、0.2割の小麦、0.8割の大麦を麹にし、塩水と混ぜて桶に仕込み、天然醸造(加温せず常温で醸造)で1年から1年半醸造しています。醸造したらもろみに穴を掘り、溜まった醤油を掬います。残りが味噌です。覗いてみますか?」という和田さんのお言葉に甘えて中を覗くと、これまで見たことがないもろみが入っています。材料や製造工程、このもろみの状態が一般的なものと違いすぎて頭の中に「!」「?」がたくさん並びました。

地溜まり05

「大豆も小麦も大麦を合わせて麹にしている?なぜ大麦を0.8割も?味噌も醤油も同じ桶からとるんだ!大豆が丸の形のままきれいに残っている! 絞らずにここから地道に醤油を汲み出すって手間じゃない?そして香りが力強い!」 など、気になる事が多くて、どこから質問したらいいのかわからないくらい。

濃口醤油は、大豆と小麦を合わせて麹にするのであって、大麦は使いません。溜醤油なら1〜2%の大麦を香煎にして種麹と混ぜるそうで、0.8割は多い。溜醤油に1割の小麦を入れることならよくあるが、ここではたった0.2%。麦味噌なら多くは大麦を使うけれど、大麦のみ麹にし、蒸した大豆と合わせます。この特殊の配合に対し「いろんな人から聞いてきた話を元に推測で言えることはいろいろありますが、断言できることはあいにくありません。でも、小麦と大麦を使うと味が深まることだけは経験上確信しています」と和田さん。

さらに、元々の「溜醤油」は味噌から出た液体だけれど、今の醤油業界で出回る溜醤油のうち、味噌から取れた液体を醤油として販売することはあまりなく、多くは溜醤油用に仕込み塩水量を多くして仕込んでいます。「なんでなんでしょうね。この地域では昔からですね」と和田さんも首をひねります。1つの桶から味噌も醤油もできることが、家庭では効率的だったのかもしれません。

そして、醤油でも味噌でも、大豆をあえて潰したり割ったり、もしくは大豆が自然と欠けていったりするけれど、「丸い形が残った味噌が好まれるんですよ。だからもろみも仕込む時に混ぜた後は攪拌せず、蓋を閉めたままじっと置いておきます。攪拌していると大豆の形が崩れてしまいますし、醤油っぽい味になっちゃうので」と和田さん。

地溜まり06

さらに、濃口醤油などはもろみを汲み出して上から圧をかけて搾り出すことが多いけれど「そうしたら大豆が潰れてしまいますから圧はかけずに柄杓で掬います」と、やっぱり「豆の形が残る味噌」を前提とした独自の製造工程になっています。なお、たまり醤油の蔵元では、桶の底についている呑み口から醤油を引くことも多いけれど、こちらの桶は、酒蔵などいろんなところからもらってきた桶なので呑み口はありません。

地溜まり07

「僕が思う地味噌の特徴は、豆の形が残っていること(写真参照)。豆の香りが活きていること。そして塩味が強く、トロトロと柔らかいことです。元々は畦道に植えていた大豆を各家庭で麹にして仕込み、醤油も味噌も両方取れるようにした造り方がこの地域に根づきました。ちなみに、うちでは醤油は1t弱の桶から40ℓ弱しかとりません。それ以上絞ると味噌の味が落ちてしまいます。とれる醤油の量が少ないから、量が足りなくて予約で埋まっているんですよ」。

なんて貴重な醤油。もっと醤油がとれる製造方法に変えることもできるでしょうに、郡上で生まれた家庭の造り方を変えずに続けています。私はこれまで醤油蔵を150軒ほど訪ねてきましたが、これほどまでに家庭の手仕事の面影が色濃く残る蔵元は郡上以外で思い当たりません。「郡上にも地溜まりを造る蔵元は他にもありますが、昔から伝わる家庭の造り方を変えていない蔵元はうちだけです。ちょっとしかできないうえに、柄杓で醤油を掬うって手間なんですけどね」と和田さんは苦笑いをしながらも、造りを変えるつもりはないと話します。

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大黒屋直伝の「地溜まり」の
楽しみ方を実践!

大黒屋直伝の「地溜まり」の
楽しみ方を実践!

地溜まり08

「おすすめは、お寿司や冷奴に1滴2滴かける食べ方。風味が強いので、少量で充分楽しむ事ができます。地元のかたが使うのはもちろんのこと、観光で立ち寄った方が地味噌のファンになり、後に地溜まりのファンになる事が多いです。『香りがいい』と言ってもらう事が多く、料理しない人が『かけ醤油』として1ℓを5本買っていくこともあります。特に豆味噌が好きな人が地溜まりのファンになることが多いですよ」と教えてもらいました。

家に帰って早速味見を。地元のスーパーで一番安い豆腐と高い豆腐を買って味比べをしました。

地溜まり09

1滴かけてみると、安い豆腐は元の豆腐の臭みが強くていまいち。高い豆腐の方はより大豆の繊細な風味が何倍も引き立ち、バランスに長けていました。

地溜まり10

次に5滴かけてみると、安い豆腐の臭みを見事に醤油が消し、醤油の旨味が豆腐の旨味を補って美味しく変身させました。それも豆腐と醤油の絡みがよく、一般的な濃口醤油で楽しむより断然美味しい。高い豆腐の方は、風味が強くなりすぎていまいち。安い豆腐なら豆腐の表面を覆うくらいかけ、高い豆腐なら1滴2滴かけるのが良さそう。

地溜まり11

なお、一口に「郡上の地溜まり」と言っても、材料や製造工程、そして仕上がりが大幅に違います。

右が大黒屋の地溜まりで、再仕込・溜醤油系統の濃い色。そして一般的な溜醤油よりも強くて深い、干し椎茸やドライフルーツのような香り。旨味成分は非常に高く、そして濃口・溜醤油に該当する塩分だけれども、不思議と数字よりも少し強く感じる塩味が口の中をアタックし、その後ふくよかな旨味と甘味が波紋のように広がります。

左は郡上の別の蔵元の地溜まり。淡口醤油に該当する淡い色。そして大黒屋と同じ系統の香りだけれど、一般的な濃口醤油や淡口醤油よりも香りも味も発酵が浅め。旨味成分は非常に低く、塩分は濃口・溜醤油に該当するけれども塩味を強めに感じます。
(香川県産業技術センター・発酵食品研究所による分析参照)

地溜まり12

全国基準に沿った醤油を造ることも大切だけれど、希少になった地域色の強い醤油があるってかっこいい。地域によって、気候風土も歴史も、手に入りやすい食材も文化も違うので、地域色は強くてもいいと私は思うから、このような醤油を大切にしたい。

そうでありながらも、和田さんは取材で訪ねた私たちにすら「勉強したいです」と熱心に耳を寄せる。変えないところを守りながら、進化しようとする熱意を感じます。

地溜まり13

なお、大黒屋の地溜まりは量が希少なため、大黒屋に行かないと手に入らないし味わえないそう。お取り寄せも可能です。郡上オリジナルの醤油をぜひご体験ください。大黒屋の地溜まりって癖になるし、私もまた買いに行こう。

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miyamotoプロフィール画像

miyamoto

自然の恵みに謙虚に向き合う「農家&麹屋」の夫と、伝えることを追求する「醤油ソムリエール&デザイナー」の嫁が、地に根ざした日本の「食文化」を100年後の未来に繋げるべく結成したユニット。発酵食を裏で支える農業・水産業・林業にも寄り添いながら日本の食の底上げを計る。

夫:宮本貴史

2016年に麹業界に新規参入した「麹ベンチャー」。無農薬・無化学肥料で大豆や米を育てて味噌仕込みをするうちに、発酵の世界に魅せられ、愛知県西尾市西幡豆町で麹屋を営み始める。年間1000人以上の人を対象に「味噌・醤油仕込みの会」も開催。

嫁:黒島(宮本)慶子

醤油、オリーブオイルソムリエ&デザイナー。小豆島の醤油の町に生まれ、蔵人たちと共に育つ。小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、デザイン、執筆、レシピ作りなどを通じて、人やコトを結びつけ続けている。玄光社から『醤油本』を出版。

Photographs by miyamoto