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篠脇城とは?

篠脇城は中世に東氏が230年にわたり拠点とした山城です。東氏一族は鎌倉時代初期に千葉常胤(つねたね)の六男・胤頼(たねより)が下総国東庄(しもふさのくにとうのしょう)に移り住み、東氏の名前を譲り受けたことに始まります。

その後、3代・胤行(たねゆき)が承久の乱での功績により、美濃国郡上郡山田庄を領地として与えられ、阿千葉山(現・郡上市大和町剣)に居城を構え、領内の統治にあたりました。それから約90年間は阿千葉城を居城としていましたが、4代・氏村の時代に篠脇山に移住。この時に東氏が居城としたのが篠脇城です。

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篠脇城は一度に完成したものではなく、長い年月をかけて築かれたものと推定されています。築城年は定かではありませんが、発掘調査では14世紀から15世紀にかけての出土品が多く掘り出されています。このことから、氏村の時代には篠脇城に移住していたと考えられます。

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東氏は武将でありながら、和歌の名手としても非常に高く評価されていました。特に9代目・東常縁(つねより)には、歌人として優れていたことを後世にまで伝える逸話があります。それは、応仁の乱で篠脇城が斎藤妙椿(みょうちん)に急襲されて奪い取られた際に、常縁が妙椿に10首の和歌を送ったことで、城と領地の返還に成功したというエピソードです。

古今伝授の里フィールドミュージアム内では、この10首の和歌が刻まれた歌碑を見ることができます。また、古今伝授の里フィールドミュージアム内にある東氏記念館でも、展示を通して東氏や篠脇城の歴史について学ぶことができます。

こうした施設で篠脇城についての歴史的背景などを学んでおくと、篠脇城跡へのハイキングをより楽しむことができます。

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