郡上八幡城を訪れるなら観光のみどころ
戦国時代の面影を感じる
「野面積み(のづらづみ)」の石垣
再建から80年を超える木造天守は、日本最古の木造再建城です。石垣は、鎌倉時代末期から16世紀の戦国時代に主に用いられた「野面積み」のもの。自然石をほとんど加工せずに積み上げた石垣は、見所のひとつです。
山内一豊の妻「千代」のゆかりの里
初代土佐藩主として大出世を遂げた大名「山内一豊」。その出世を支えた賢夫人として知られる「千代」は、郡上八幡城の始祖・遠藤盛数の娘という説が有力です。城内には、現代に通じる「千代の知恵 賢妻の心得10箇条」も展示。城内床板のきしむ音と共にお楽しみください。
人柱伝説「およしの物語」
城の改修の際、用材となる大木の運搬を不思議な力で手助けしたという17歳の美しい娘・およし。当時、石垣が何度も崩れる・柱がうまく立たないなど難航を極めていた八幡城では「人柱」を立てることとなり、白羽の矢が立ったのが不思議な力を持つ娘・およしでした。父母や村人が反対する中「みなさん悲しまないで。私は消えるのではなく、お城の守り神としてこの先ずっと郡上の里を見守り続けるのです」と言い残し、吉田川で身を清め、純白の振袖と帯をまとい、人柱として城の下に眠ったと言われています。天守閣前にはおよしの霊を祀る観音堂がありますので、ぜひ訪れてみてください。また、夏の郡上おどりの縁日のひとつとして、毎年8月3日には「およし祭」が行われています。
力石伝説「赤髭作兵衛の力石」
遠藤常友によるお城の大改修の際、人夫の中でもひと際強腕で知られていた作兵衛(通称 赤髭)。約350kgもの大石をひとりで背負い上げて運んでいるのを見た普請奉行が褒め称えたところ、感激のあまり卒倒して息絶えたという。その時の石が昭和8年の再建の際に見つかり力石として安置されています。
明治維新の際、結成された「凌霜隊」の碑
戊辰戦争のさなか、郡上藩士ら45名で結成された「凌霜隊」は、17歳の朝比奈茂吉を隊長に幕府側として戦いました。会津若松城の篭城戦では白虎隊と共に戦ったといいます。城の松の丸に凌霜隊士を顕彰する碑があり、幕末ファンには見逃せないスポットです。
天守から眺める「魚」の形をした城下町
郡上八幡城の天守から眺める城下町は、よく見ると「魚の形」をしています。左手側が魚の頭、右手側が尾びれの形に広がっています。奥美濃の山々の間を、大きな魚がゆったりと泳いでいるようで、水の町・郡上八幡らしい素敵な景色のひとつです。天守に登ったらぜひ、大きな魚を探してみてください。