江戸時代から続く
最大の娯楽と出会いの場
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られる郡上おどり。戦国時代の終焉を迎えた江戸時代に、人々の心の安定と平和を楽しむために、そして士農工商の融和を図るために、お盆の4日間だけは無礼講で踊ることを奨励され、盛んになったと言われています。ここで出会い、友情や愛情が育まれたことも多かったそうです。奥美濃の純朴な当時の里人にとって、唯一の社交場であり、また最大の娯楽であったということもあり、歌い継がれ、踊り伝えられてきた歴史があります。
日本三大民謡踊りのひとつ
「全10曲」が
国重要無形民俗文化財に指定
郡上おどりのルーツは定かではありませんが、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事は仏教と深くかかわり、踊り自体は祖霊を供養するものとして平安時代に広がった念仏踊りが始まりだとされています。先祖代々、どんな時代にも常に心の拠り所として受け継がれてきました。昭和20年の終戦の日ですら、英霊の御霊(みたま)を慰めるために踊ったという事実も残っています。そして戦後には阿波踊り・花笠踊りと合わせて日本三大民謡踊りのひとつと称され、昭和48年(1973年)には「古調かわさき」が国の無形文化財に指定され、平成8年(1996年)には全10曲が国重要無形民俗文化財の指定を受けています。
江戸時代から続く
最大の娯楽と出会いの場
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られる郡上おどり。戦国時代の終焉を迎えた江戸時代に、人々の心の安定と平和を楽しむために、そして士農工商の融和を図るために、お盆の4日間だけは無礼講で踊ることを奨励され、盛んになったと言われています。ここで出会い、友情や愛情が育まれたことも多かったそうです。奥美濃の純朴な当時の里人にとって、唯一の社交場であり、また最大の娯楽であったということもあり、歌い継がれ、踊り伝えられてきた歴史があります。
日本三大民謡のひとつ
「全10曲」が
国重要無形民俗文化財に指定
郡上おどりのルーツは定かではありませんが、盂蘭盆会の行事は仏教と深くかかわり、踊り自体は祖霊を供養するものとして平安時代に広がった念仏踊りが始まりだとされています。先祖代々、どんな時代にも常に心の拠り所として受け継がれてきました。昭和20年の終戦の日ですら、英霊の御霊を慰めるために踊ったという事実も残っています。そして戦後には阿波踊り・花笠踊りと合わせて日本三大民謡のひとつと称され、昭和48年(1973年)には「古調かわさき」が国の無形文化財に指定され、平成8年(1996年)には全10曲が国重要無形民俗文化財の指定を受けています。