鮎の中でも一級品!
清流・和良川と地層が育む和良鮎
初夏から夏の季節を代表する食材として、古来より知られる食材・鮎。きれいな水を好む鮎は、その美しさから「清流の女王」と呼ばれています。ここ郡上市・和良には、貴重な高級食材として有名な「和良鮎」があります。その最大の魅力は「香り」。涼しげな西瓜のような芳香は、夏の河原一帯を満たしてしまうほどと言われています。ここでは、日本一おいしい鮎が住む川を決定する「清流めぐり利き鮎大会」で史上初!4度のグランプリに輝いている和良鮎のおいしさの秘密に迫ります。
清らかな水が流れる、
和良川の豊かな生命力
平成20年(2008年)に「平成の名水百選」(環境省)に選ばれた清流・和良川。天然記念物に指定されている、オオサンショウウオが多く生息している川としても有名です。この川で育つ鮎が特別おいしい理由はずばり!鮎の食べる藻類が最良であることにあります。つまり、藻類を育てる水、そして水を作りだす地形がよいということ。これこそ、生き物たちが住みやすい理由なのです。
ミネラルたっぷり! 海洋由来の土地と
豊かな自然が育む「生きた水」
岐阜県は海のない県ですが、この和良町は海洋由来の地質です。さかのぼること数億年前、この付近一帯は熱帯の浅い海底でした。日本列島が作られるとき、海洋プレートは海底にあったサンゴ礁や石灰岩を少しずつ堆積させながら年間数センチほどの速さで移動し、海溝部で大陸の下へと沈み込んでいきました。その時、堆積されたものは一緒に沈み込むことができずに大陸側へ押し出され、長い年月をかけて陸地を形成していったのです。実際にこの和良町の地層には、海底火山島の上にできたサンゴ礁、フズリナ、石灰藻などの化石が数多く産出することが知られています。石灰岩帯である和良では、弱酸性の雨が石灰岩を溶かして形成された鍾乳洞が数多く存在。こうして炭酸カルシウムをはじめ、多くのミネラルを含んだ水が生み出されるのです。一方、山では朽ちた木々から溶け出る鉄分を含んだ湧き水が、複雑な流れによって揉まれるうちに酸素を取り込んでいく…。和良ならではの自然の条件が揃って初めて、ミネラルたっぷりの「生きた水」・和良川が生まれ、良質な藻類を育てるのです。この藻を食べて、和良鮎は育ちます。
時を超えて人々を魅了し続けてきた、
ブランド鮎「和良鮎」
【明治】 鮎釣りのはじまり
この地で鮎釣りが盛んになった歴史は、はるか昔、明治時代までさかのぼります。明治40年代から大正初期にかけて、東京では夏の食材として鮎が珍重され始めました。東京へ出荷するため静岡周辺で鮎の友釣りが行われていましたが、更なる良質な鮎を求めて他県の川へ遠征する出稼ぎ漁師が現れ、和良で鮎釣りを始めたと言われています。つまり、現在の鮎の漁法を岐阜県内に持ち込み、根付かせたのは明治時代の漁師たちと言えるでしょう。そして、単なる出稼ぎではなく、この地に移り住んで生業とする人もいるほど、和良川は職漁師を魅了したのです。
【昭和】 川から消えた鮎
そして復活・衰退
鮎は秋に下流域で孵化し幼魚期間を海で過ごし、春に遡上し一生の大半を川で生活する魚です。大正から昭和の初期、高度経済成長期に作れたダムによって海と川を繋ぐ道を閉ざされ、川から鮎の姿が消えました。そして昭和6年、旧和良村では村内有志が琵琶湖から1000匹の稚魚を買い付け、和良川へ放流したと記録(和良村史・近代百年)されています。当時、交通機関は発達しておらず手渡しでしか運ぶしか手段はありませんでした。酸素もなかったため、水桶に入れた鮎が酸欠しないよう水を柄杓でゆっくりと掻き混ぜ、時には沢の水を汲んで鮎に息をさせ、はるばる滋賀県の琵琶湖から険しく急な峠道を越え、和良川まで届けたのです。 鮎にかけた時間・労力は現在ではとても考えられないほど過酷であったに違いありません。それほどに意味を持つ魚だったとも言えます。そして3年後の昭和9年(1934年)、和良川漁業組合が設立され、初めて計画放流が実施されました。
昭和20、30年代には、捕れた鮎のほとんどが和良川漁業組合集荷所へ集められ、東京市場にも出荷。盛んな時期には養蚕に次ぐ農家の大きな収入源となっていたこともありました。しかし、時代の移り変わりと共に鮎を釣り生業とする人はいなくなり、鮎釣りはレジャーとしての位置づけに変わっていったのです。
【平成】 ふるさとの宝・
和良鮎ブランド誕生
和良鮎に転機が訪れるのは、平成14年(2002年)の夏のことでした。全国の河川を釣り歩く鮎釣りの名手が和良川を訪れたのです。日本各地の鮎を食べ尽くしていた名人が「和良の鮎は別格だ」と言い、品評会への出品を薦め、その年に出品した鮎が平成14年(2002年)の「清流めぐり利き鮎会」においてグランプリに選ばれたのです!和良鮎こそ「ふるさとの宝」として守るべきもの…と再認したきっかけになりました。そして、平成27年(2015年)には「和良鮎」が地域団体商標に登録されています。
「清流めぐり利き鮎会」って何?
高知県友釣連盟が主催する「清流めぐり利き鮎会」では、全国の味自慢の鮎を河川ごとに出品。この会では、同じ条件で鮎が塩焼きにされ、約300人の一般審査員、料理研究家やワインソムリエなど食の専門家による食べ比べが行われ、グランプリを決定します。令和元年(2019年)に開催された第22回では63河川が参加。そして、和良川が前人未到の4回目となるグランプリを獲得しました!この大会で4度のグランプリに輝いた河川は過去になく、どのブランド鮎も成し得なかった快挙です。
鮎の香りに包まれ、
明るい茶褐色へ変貌を遂げる、夏の和良川
鮎たちが川底の石に着いた藻類を食み始めると、川全体が明るい茶褐色に変わり、川原一帯が鮎の芳香に包まれる…。それが和良の夏の風物詩。鮎の焼き上がる芳香と金色の美しい姿、口の中に入れた時に広がるハラワタの旨みは、この和良の大自然が造り出した宝であり、奇跡なのです。
捕れた場所・時期によって
旨味が異なる、奥深い味わい
和良鮎の商標の文字はこの美しい鮎を象ったもの。和良鮎の最大の魅力は、別名「香魚」と呼ばれているのでもわかるように「香り」です。良質な藻類をいっぱいに詰め込んだその「腹ワタ」は、食べた瞬間に、清涼感のある芳香が口の中いっぱいに広がります。ほろ苦さの中に甘さと旨味があり、この絶妙な風味が人々を魅了してやみません。藻によって風味が変わり、同じ和良鮎でも和良川の上流、源流に近い場所で捕れたものは風味が違います。また、時期によっても味わい方が異なるのも大きな魅力。解禁直後の6月は骨がやわらかく頭まで丸ごと食べられ、8月になると身が引き締まる一番おいしい時期に、そして秋には「落ち鮎」と呼ばれ、夏の鮎とはまた異なる味わいを楽しめます。落ち鮎とは、秋の産卵期に川を下ってきた鮎のことを言います。身の締まりや甘みに成熟した味が加わり、その短い一生分の旨味が凝縮されているように思えます。ぜひ食べ比べて、違いを確かめてください。
お値打ちにブランド鮎を味わえる!
和良鮎まつりを開催
毎年、道の駅和良で「和良鮎まつり」を開催しています。焼き方にこだわった数量限定の塩焼き、鮎ごはん、鮎雑炊など、日本一おいしい鮎に輝いた和良鮎を味わうことができます。なお、ブランド鮎「和良鮎」をお値打ちに食べられるイベントはここだけなので、ぜひお出かけください。開催日はHP( http://gujo-wara.jp/)にて確認を。
オオサンショウウオに会える場所
この地域では「ハザコ」と呼ばれ、親しまれているオオサンショウウオ。夜行性のため、実際に川で見つけることは難しいかもしれません。「特別天然記念物を自分の目で見てみたい!」という人は、和良歴史資料館で2匹飼育されているのでぜひ訪れてみてください。
住所 | 〒501-4507 岐阜県郡上市和良町宮地1121-1 |
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電話番号 | 0575-77-4011 |
営業時間 | 10時〜16時 |
定休日 | 毎週火・木曜日(祝祭日のときはその翌日) |
駐車場 | あり |
アクセス | 郡上八幡インターより車で約32分 |
公式サイト | http://gujo-wara.jp/info-sightseeing/135-2008-08-29-02-39-50.html |